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活動記録。保育園から社会人1年生(ゲーム業界へどうやって入ったか)まで。

井上ジェットの創作活動やアクティビティを並べてみようと思いました。
いずれは自己紹介コーナーを充実させようと思います。

脈略なく、記憶にある作ったものを書き綴ってみます。
【保育園】【小学校】【中学校】【高校生】【専門学校】【家業時代〜ゲーム業界へ】で分けました。


【保育園】
ヤクルトの容器をくっつけてロケット作り。粘土で玉ころがし装置をよく作った。砂遊びが好きすぎて手が砂だらけになった。幼児の頃は部屋の壁やフスマ、長電話をしている母親のスカートにまで絵を描いてしまう子供だった。押し入れの中の壁やテーブルの裏まで絵を描いた。

【小学校】
1年〜6年まで夏休み自由研究は切り絵を制作。スーパーカーや自然の風景を制作で全6作品。低学年のころ牛乳パックで作った怪獣のおもちゃが町民文化祭で展示。小学校3年生のときにロダンの考える人を紙粘土で制作。5年生のときは紙粘土でブラキオサウルス制作。なかなか取れなかったけれど5年生のとき写生大会で金賞。小学校3年のときにマンガクラブに入部「ひゃひゃひゃのひゃ太郎」というゲゲゲの鬼太郎と怪物くんとドラえもんを足したみたいなマンガを初めて描く。小学校5,6年でアクションマンガやSFマンガをノートに描く。迷路作りにはまる、オリジナル迷路をたくさん作り友達に遊んでもらう。ゲームブックをたくさん制作する。SDガンダムが好きでオリジナルSDガンダムデザインコンテストに出すもまったく入選せず。魔神英雄伝ワタルのデザインにも出すもまったく採用されず。「ロックマン」のボスデザインコンテストに20キャラくらい応募するもまったく入選せず。『ミネルバトンサーガ』のラストダンジョンを丹念にマップを作って攻略する。小学校の頃からゲームも好きでヒマがあればゲームセンターや友達の家のゲームをやりに行く。近所のスーパーの中にあるゲームセンターには水曜日だけいつもと違うおじさんが来ていて、水曜日のオッサンと呼んでいてゲームの話をよくしたし、サービスをよくしてくれた。
小学校6年のとき、切り絵作品の依頼を受けて「城山と合同庁舎」という家から見える風景を切り絵で作った作品が学校代表でどこかに展示された。小1から習っていたスイミングスクール(相模原ドルフィンクラブ)は中3まで習いつづける。ピアノ、そろばん、習字、くもん、は半年もたず。

【中学校】
「スーパーマリオ」のギャグマンガを描きいろいろな友達が読むようになる。他にもマンガを描いているやつがいて喧嘩になり顔を殴られ机が鼻血に染まり、血は止まらずトイレットペーパー1本を血に染める。その殴ったやつと大人になっても友達でいる。次に「ジャガーマン」というアクションマンガを鉛筆でノートに描く。美術の授業でカラーインクを使うことがあり透明水彩にはまり花の絵を描きはじめる。自動車雑誌に車の改造イラスト『シビック』を描いてを応募するも落選。郵政省がやっていた版画年賀状コンクールに応募するも落選。中3の時、葛飾北斎の富岳三十六景の『神奈川沖浪裏』を丹念に模写してすこし位置や構図を変え「文化財愛護」のポスターも作るも学校代表に選ばれず、先生は「変化をつけたことでこのポスターには文化財が描かれていない状態になってしまっている」とダメだしをされる。丹念に描きかなりの自信だったが要望がかなっていなければ買われないのだと大きな悔しさをかみしめる。文化祭で高さ1.2mのエンパイヤステートビルの模型を作る。無数の窓を切り抜き水色のビニールを貼った。中学3年で「サイボーガースクエル」という今考えるととてもはずかしいサイボーグマンガを初めてつけペンで描きジャンプに応募するも落選。スクリーントーンは1枚も貼っていない。月曜日の朝学校に来る前に少年ジャンプを読んでくるやつがいてそいつがその日のドラゴンボールのマンガを描いてくれるも下手すぎてまったくわからないのがおもしろかった。水泳選手として学校代表選手として大会等に出場。空手を習い1年くらいやる。ゲーム会社のハドソンがやっていたPR誌に4コママンガが採用され、図書券1000円もらい母親から「はじめてのギャラだね」と言われる。中3の時、水泳大会で50mバタフライで2位になったが泳ぎ切った1分後に本命の50m平泳ぎがスタートするという組み合わせ1位取る気だったのに3位になってしまう。水から上がってすぐにバタフライ2位の表彰台にずぶ濡れのまま立って塗れた手で賞状を貰う。平泳ぎがなぜ1位じゃないのかと母親に怒られる。怒ってふて寝したら母親が1000円くれた。戦車が空を飛ぶSFマンガ「ウォーズ」というマンガを鉛筆で描いていたら、他の友達が影響を受けてマンガを描き出し、そいつからメカデザインを依頼される。中学時代は毎年年賀状を版画で1枚1枚刷ってつくっていた。木版で3色刷をやったこともあった。

【高校生】
美術で油絵とアクリル画を習う。1年のときに50号にティラノサウルスの絵を描く。全国学生美術展で入選するも展示されず。高校2年の時に20号のアクリル画で「白鳥」を描き町民文化祭に応募し展示されたものを見た多摩美か武蔵美の大学の教授らしき人から電話がかかってきて大学へ推薦しても良いといわれる。父か母親が電話を受けたが連絡先をメモらなかったか断ったかのどちらか。「白鳥」はさらに神奈川二科展に出し展示される。展示を見に行きはるかに上手な人がいて驚く。ふくろうを描いた絵が今でも忘れられない。アクリル画を毎年描く「白百合」20号、「紫胡蝶蘭」35号のアクリル画を描く。高校は3年間水泳部。3年のとき水泳部部長になる。部活は水泳部だったが放課後は美術室に入り浸り、美術部の部長に出てけといわれる。美術の授業で学校の校舎を丹念に描き授業で生徒の投票をするも3位止まり、緻密に描いても遠くから見れば細部がつぶれて特徴がなくなることを痛感する。35mmフィルムカメラを入手し写真を撮りまくる。この頃カメラを持っているものは少なく、カメラと言えばあいつみたいになる。高校2年生のときにドラゴンがいっぱい出てくるマンガを描いて集英社へマンガの持ち込みを初めてする。最初は褒められる。高校2年頃からマンガを描いては同学年全12クラスに回して読んでもらい感想を書いてもらった。匿名のファンメッセージが書かれており今でも誰だかわかっていない。探そうとしたら次のマンガの感想欄に「探さないで下さい」と書かれていた。31ページの新作マンガ「デベロッパーゲーム」を投稿するも落選。2度目の集英社持ち込みでは厳しく指導される。マンガ同好会という同好会があり行ってみたらこれがオタク(1990年代)かと陰気な感じに驚愕する。同人誌というのを出すというので意味がわからなかったが宇宙戦艦ヤマトの絵を模写したら載せてもらえたがいろいろ文句を言われる。「ロックマン」のボスキャラコンテストに相変わらず出していた、そんな中「魔人と僧」というアラビアンナイト的な30ページのマンガをカプコンのオフィシャルファン雑誌のマンガコンテストに応募したら、応募状況の報告ページに掲載されたが、発表を前にその雑誌が廃刊。原稿戻らず。水泳部の部長になり部員募集のポスターを3枚制作したら、その絵をみてアート好きな女子マネージャーが入ってきた。水泳部の女子で同じく絵が上手い同級生がいて、そいつが美大へ行くために美術研究所へ行っていると聞く。曲線と直線が入り交じる古いペプシコーラの缶を鉛筆デッサンしたものを見せてもらい、オレだって描いてやると、同じ缶を売っているところを探して買ってきて描いた。美大へ行きたいから美術研究所へ通いたいと親へ言ったら、そんなところ行かなくても自分で絵の練習はできるだろうと言われる。友達からディズニーの「リトルマーメイド」の映画を借してもらい見て驚愕しその日に3回連続で見た。「アイデアノート」というノートを作り、おもいついたマンガやゲームのアイデアを書きつづるようになる。アニメの「ガンダムF91」が公開されてガンダムマガジンという雑誌に富野監督の似顔絵とメッセージを描いて読者投稿欄に送ったら、投稿欄にはコメントが載った。そしてさらに、富野由悠季監督本人からサイン入りの手紙が届いて「おじさんの似顔絵を描いても勉強にならないから若者の似顔絵を描きなさい」と書かれていて、最高にビビった。

【専門学校】
大学は一切受験せずに放送芸術(テレビの技術)の専門学校へ入る。日本映画学校も検討していたが、この頃、映画とテレビが別のものだと知らずどちらも同じだと思っていたら、入学してからぜんぜん違ったことがわかり、間違えたことに気付く。しかし演出の授業でNHKの大河ドラマなどに関わっていた合川明先生から多くを学ぶ。放送作家の先生には自分から台本や脚本を書いて個別指導をお願いした。合川先生からミュージカル『ミス・サイゴン』のメイキング映像を見せられ驚愕し、品川キャッツシアターでやっていたミュージカル「キャッツ」を初めて見に行き驚愕する。ミュージカルは田舎ではマイノリティな文化で1人で興奮した。授業で描いたテレビ番組の企画書などを真似てゲームの企画書などを書くようになる。集英社、講談社、角川、アスキーなどへマンガの持ち込みをするようになる。マガジンへ持ち込みへ行ったらマガジンは担当が二人つくということを聞き、マガジンはやめようと思った。コミックビームで担当がつき「どたつかい」という忍者マンガで最終選考、翌年「ワイルドランチ」(6ページ)で奨励賞。6ページでマンガの賞がもらえるなんて楽だと思い短いマンガ表現にも目覚める。野菜を擬人化したマンガ「赤ピーマン裁判」を書くもアスキーで仲のよかった担当が辞めてしまったので、少年エースに持ち込むも「面白いけれど野菜は無理」と言われる。別の野菜マンガなどを懲りずに少年エース持ってゆくと「また来たの?別の会社へ行きなよ」と言われるようになる。その5年後また行って呆れられる。母親が肺がんになる。母親が死んだ。卒業まで半年を残して専門学校を中退し家業を手伝うことにする。

【家業時代〜ゲーム業界へ】
家業は建築設計事務所。オヤジの手伝いで一戸建て住宅などの設計を行う。建築申請書をつくったり図面を描いたりした。ずっとオヤジの仕事を見ていたせいか、オヤジ曰く仕事が早くて使えるとのこと。オヤジからプランを貰い、平面図、立面図を描きまくる。9時ー6時で仕事をして終わったらすぐにマンガを描くことをつづける。
月間モデルグラフィックス誌で「オレのガンダムコンテスト」にて入選。オリジナルガンダムのデザインが2つ掲載される「海女ガンダム」「ミヤジマガンダム」。21才のときホラーマンガで第30回ちばてつや賞佳作をもらい、賞金15万円とトロフィーを貰う。講談社で担当がつき、打ち合わせで天丼などを食べさせてもらうようになる。すぐにあたらしいSFマンガを描くも締め切りが迫っており、ちばてつや賞の授賞式を欠席して完成させる。しかしこのマンガは不採用でボツになる。今思えば授賞式に行っておけばよかった。ちば先生に会っていない。マンガオープンの目次ページのマンガを頼まれ、マンガオープンに掲載されギャラを貰う。講談社へは月に2回通いネームを次々に持って行った。担当からカットイラストを頼まれ、内容も聞かず先に描いて送ったら、そういうことをするなと言われ、ビジネス感を学び、そして依頼はナシになった。友達がマッキントッシュを購入しCGを作り始める。(株)ソニーコンピュータエンタテインメントがやっていた「ゲームやろうぜ」というプロジェクトに一緒に応募しようと言われ、友人と一緒にCGを作ったりイラストや企画書を作り、親に内緒でこっそり応募する。書類選考が通り、青山一丁目のプラースカナダの2階へ面接へ行くことになる。バスと電車で3時間。遠くて面接に5分遅刻してしまう。息をきらしたまま面接スタート。いろいろな部署から20人くらいの面接官がおり、息を切らした状態で面接をするも、質問1つに対して10個くらいしゃべりまくり持ってきた作品をどんどん出して1次面接通過してしまう。しかし友人は落ちてしまい自分だけが二次選考へ。二次選考は遅刻せずに早めに到着、待っている時間、待合室で哲学書を読み「何を読んでいるの?」とプロデューサーに聞かれ「菜根譚です」と答え、作戦通りと思う自惚れぶり。相変わらずまた新作の作品と作ってきた企画書を面接で見せようとしたら山元プロデューサーにここでは読めないと止められる。その人の名前は知らなかったが顔を覚えていて後にも覚えていた。二次も通過し三次面接へ。懲りずに企画書を持って行った。「二次面接で企画書は読めないと言われたので、今度は企画書を紙芝居にしてきました。私が読むのなら聞けますよね」と行って、面接でゲームの企画書を紙芝居にしたもののプレゼンを開始してやりきる。レースゲームの企画だったため「ブーン」「ドカーン」などの紙芝居となった。今思えばパワポのようなものだ。「ゲームやろうぜ」の面接だったが途中から社員面接に切り替わり、そして合格、入社する。物作りは貪欲だったがビジネスマナーもろくに知らない世間知らずの田舎者だったため入社1〜2年目はプロデューサーに怒られ呆れられまくる。こうしてゲーム業界へ入ることになった。大学の新卒者と同じ年齢とタイミングだったが、私は中途採用扱いで入ったために、新卒者は合宿などへ行くも私は行かないし孤軍奮闘だった。向かいの机のディレクターがヘビースモーカーでその人の吸うタバコを買っておき、机に確保しておき、なくなれば渡してお小遣いをもらった。背中に「井上」と書いたTシャツを着て名を売ろうとしたりした。


ゲーム業界までの道、ここまで。


この絵は、社会人になってから磯江毅さんという洋画家に感化され描いたタマネギとマンゴスチンのアクリル画20号(未完)。



井上ジェットのサイトTOPを見る。
http://inouejet.com/



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Comment

わたしの努力なんか屁でもないということがわかりました。
こんなに努力なさったんですね…

いい刺激になりました!歴史を語ってくださってありがとうございます

| しろうさぎ | 2013/12/30 5:37 PM |

しろうさぎさん
コメントありがとうございます。まだまだ努力が足りません。今後も丁寧に努力してゆきたいと思います。しろうさぎさんのご健勝と躍進もお祈りいたします。ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

| ジェット | 2014/01/01 2:56 AM |

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