僕とガンダム。ガンダムオリジン「激突ルウム会戦」を見て。

こんにちは井上ジェット(@jetinoue)です。
 
「機動戦士ガンダム ジ・オリジン 激突ルウム会戦」を先日見てきました。劇場で見ていてジワジワと涙し鑑賞後も泣きそうになったわけですが、それにはいろいろな人生に関わる理由がありました。
 
「ルウム戦役」という言葉を知ったのは小学生の頃です。およそ30年前。小学生の頃すでにガンダム書籍を買い漁る僕は書店に入荷するガンダムのムック本を全部集める勢いでした。まだネットもなかったので偶然入荷する書店の本だけが情報源です。川上から丸太が流れてくるのを待つみたいに。
子供時代はガンダム大好きで、コミックボンボンのSDガンダムファンクラブにも入り、オリジナルSDガンダムコンテストや、モデルグラフィックスの俺のガンダムコンテストなども欠かさず応募。ガンダムならなんでも知っているようなガノタで、高校生の頃、富野監督からファンレターの返事がポストに届いていたときが歓喜の頂点でした。富野監督の似顔絵を描いたのですが返事にこうありました。
 
「年寄りの似顔絵を描いても勉強にはなりません」
 
ぼくは、わあすげえ!!なるほどなあ!!と、実はぜんぜん意味がわかってなくて五年くらいその意味を考え続けてました。
 
もしかしたら将来ガンダムの仕事をするかもしれないと、友達に話をしたら、安彦ファンの番くんは「そんなのできっこねえじゃんバカじゃないの」と言われました。
 
そこから10年経過して、SDガンダムフォースで演出で関わることになって、番くんにそれを報告したら「本当にすごい」と言ってました。サンライズでは谷原スタジオ→3スタ→11スタ→5スタとお世話になってきましま。とくに佐藤プロデューサーには人生の1/6を食べさせてもらいました。大変感謝しております。演出やガンダムゲームのディレクションなどたくさんやらせてもらっていました。とあるガンダムゲームのゲーム内のアニメなどの監督(演出)、コンテをやっていた時に、ルウム戦役を再現するシーンがありました。その時、知る限りではルウム戦役が映像にまだなったことがなかったかもと…コンテにそのシーンを盛り込みました。シャアザクが連邦の戦艦を次々に撃破し、また三倍のスピードと言われるようになった表現のカットを入れよう…と、作らせてもらいました。
そのときにはじめて電話帳(のような厚さになること)のカットが発生して、自分でコンテ切って、作打ちして上がってきた原画が電話帳になってて、これが電話帳かあ!と一人でじわーっと滲みてました。完成した映像は音楽ともバッチリで手に汗握るものになっていて、やった!すげえ。とアムロのように自惚れてました。あの頃はセルアニメ演出一年目とかで、時代も変わり、今の映像と比較したら絶対に勝てないですが、当時はかなりの手応えを感じて作っていました。
 
そして、2017年。総監督安彦良和、演出にカトキさんが入ってる。作監やらCGスーパーバイザーやら、エフェクトにIGの面々。そんなレジェンドメンバーたちが作ったルウム戦役の会戦シーンを見たわけです。ゲーム案件は僕一人で制作、設定制作、コンテ、演出、色彩設計まで(笑)一人で回してたこともありました。そんなのと違います。それぞれのベテランが各担当箇所を作ってる。そして往年の人間臭いドラマ演出。さらに安彦流ガンダム。ルウム会戦に至るまでの人間ドラマ、苦労、無念…
 
こんなの、まるで自分の半生の走馬灯を見ているような気分になりますよ。過去に自分が作ったルウムも苦労したのに、そんなの比じゃないハンパない。しかしガンダムの演出は頑張れば頑張るほど大変。
そんないろいろな思いが浮かびあがりつつ、セイラやいろいろなキャラが戦ってて、コロニーで死んでいった人とかを見ていたら、得体の知れない涙がわんさか出てきたのです。
いつか自分もガンダムの監督ができる時がきたらいいなと思いました。
 
ちなみに高校生の頃から服部克久さんの「音楽畑」買い集め、15枚くらい持っていたので服部隆之さんの音楽だって思い入れがあります。
こうして、知っているものばかりになってくると、誰も恨まないし、あたかもみんなが見知った友達のように見えてきて、一層感傷的になります。
 
今回のルウム会戦、シナリオもコンテも相当良かった。これが運命かよ!そんなズッシリと来る展開。
そんな今回のオリジンでした。
 
公開中の、ルウム会戦、次回は来年、赤い彗星でオリジンアニメはラスト。とうとうルウム戦役の本格的な戦いです。
 
そういえば、劇場ロビーに安彦良和総監督がおりました。握手をしてもらいました。大河原邦男先生は当然お会いしたことがありますが、安彦良和さんは対面は初めてで大変光栄でした。富野由悠季監督も対面はなく、次の目標です。上井草へはよく通っていましたが、富野監督とはすれ違ったことは一度もないのです。今は自分がオジサンになってしまったのでさすがにできないですが、もしも20代の頃に上井草で富野さんとすれ違っていたら、制作でもなんでもやらしてほしいと直訴していたでしょう。

機動戦士ガンダム THE ORIGIN ルウム編 V 激突 ルウム会戦
Amazon videoでも見られます。



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アニメのカット制作、動きをどう考えて映像設計するか。

●アニメのカット制作、動きをどう考えて映像設計するか。

どうも井上ジェットです(@jetinoue
細田守監督がインタビューで「ボクは元々アニメーターだから、カメラワークはあまり好きではなく、カメラはあまり動かさずにフレーム内で作画で見せるほうが好き。絵コンテを描くときにも原画さんが描きやすい(描きたくなる)ようなレイアウトを目指している」

というようなことを言っていました(直接聞いたかもしれません)。大地丙太郎監督もご本人の自著の中で、「原画マンが絵を描きたくなるようなレイアウトになるよう絵コンテを描くときには意識している」と書いていたと思います。

原画さんが描きやすいカットの一番は、カメラワークのないFIX(フィックス)の構図です。
カメラワークがあると大判の紙を使ったり、シートにカメラワークのためのタイミングを考えなくちゃならずこれが大変なんです。ガンダム関係のアニメなどは密着しながらガンダムがフレームインしてからの爆発しつつ交差。みたいなカットがありますが、ああいうのがもっとも大変です(ごめんなさい)。
FIX構図でぺらぺらめくりながら、動きの妙を作り上げてゆくカットが描いていても一番面白く。そのアクションが変化に富んでいて、キャラデザインが動かしたくなる衣装やデザインになっていたりすると、面白く描けるわけですね。

※アニメ用語に関しては、こちらのカメラワーク大辞典などを参照してくださいませ。

動きが作りにくい会話中心のカットが増える昨今なので、制作費と関連付いているTVシリーズでは全編にわたって画作りで見せてゆくというのは難しい状況はあります。それでもアニメなので、絵に声がついて魅力あるカットが塵も積もれば魅力的な山となるわけですね。費用対効果を考えつつ力の入れどころ抜きどころも作るのが監督や絵コンテやシナリオの仕事の中にはあります。

・描きやすい(原画さんのモチベUP)
・処理がしやすい(演出コスト)
・カット構成的にも良い(無駄なカットなどがなく、全体の流れも良い。音楽との調和も良い)

という三拍子を揃えるのが画面設計をするためには良いわけです。
(作画枚数の話は置いておきます)

アニメ作るときに、カット内でキャラがまったく動かないとエラーみたいに見えちゃうので手だけ動かしたりとかいろいろやるわけですが、劇場だとそもそも枚数を使えるのでカット構成自体が動きがあるようにしておくわけで、シナリオからなにから技術に差はあります。

細田守監督だけを褒め称えるわけではないですが、「時をかける少女」はそういった意味では、かなり最高の絵コンテができているなあ。なんて思ったんですよね。



「進撃の巨人」…とくにSEASON1の、第1話とか前半のあたりは、逆にほぼ3Dのカットでカメラワークもぐるぐると動き。異常に力が入ったカットがありました。「君の名は。」で彗星が流れる3D的合成のカットもやばいですね。
一部の凄いカットが全体のイメージアップに繋がるのも、効果的ですね。それは、一部でいいと思うんですよね。割合の設計も大事というところですね。

●昨今増えてきた3DCGのアニメ・より効果的な絵コンテとは

昨今では3DCGのアニメも増えてきました。サンジゲンさんの「蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-」はセルルック3Dアニメで、しかもよく映像を見ると、3Dモデルの見せ方を工夫しているのがわかりました。カメラの回り込みなどは禁止していて、PANなどにもルールを設けているように思いました。そうすることで3DCGキャラの破綻した絵ができないようにしていると感じました。マンガの『ドラゴンボール』には、『あおり』アングルがないんですが、これもキャラクターのデザイン的な見せ方を鳥山明さんが工夫しているのだと思ったわけです。



3Dシーンの絵コンテを描くことはよくあるし、TVアニメの3Dアニメの絵コンテも描いていたりするわけですが、どういう風に絵コンテを描いてゆくと、より効果的なカットシーン制作に繋がるかを毎日のように考えています。

日本の制作現場は「絵コンテに沿って作る」というイメージがまだまだかなり強いのですが3DCGのカット制作においては絵コンテがないほうが良いんじゃないか。と思うこともありますね。もしくは日本の絵コンテとは別物のやり方が必要と思います。絵コンテのようにしようとして、苦労やストレスを生み出してしまうことがありますから。

絵コンテとは「絵のコンティニュイティー(連続性)」という意味です。英語にするとStorey Boardというわけですが、中国語では絵コンテのことを「分鏡」と書きます。中国では全体をカット分けしたもの。というような意味にも感じられますね。

カット単位で考えたときに、手付けでアニメーションを作るなら「手だけ動かして口パクさせる」みたいなカットは楽に作れますがそういったカットは増やすべきかどうかは悩みますね。

引きの絵からクローズアップへ繋げるカットのとき、一番簡単な方法はその中間的な寄り具合のアングルでカメラを動かさないということです。つまりカメラの動きは止めて妥協した構図を作ることです。でも画面内にキャラの数がたくさん映っているとその分アニメーションが必要なので工数がかさみます。こうった悩みが日常的に発生します。アニメーターの技量や得手不得手がありますからリソースに会わせて映像制作のリスク配分も考える必要もありますから工夫は必要です。

セルアニメだと口パクは、撮影さんがキーを設定してくれるので分業ができていますが3DCGだとアニメーターさんは口パクもやらなくてはなりません。あいうえおだけを単純に打っていればいいわけですが、実際には感情はつねに入るので表現を気にすると限度がありません。これも将来の課題でしょう。

背中などで喋らせたり、空を写した「捨てコマ(捨てカット)」を入れたり、俯瞰ショットなどを入れたり、工夫と効果を考えながらやっていくわけです。いやはや、3DCGのアニメは工夫が大変ですな。トップから末端までビジョンを共有してゆくことが大事です。

3DCGは空間の現実感が繊細に伝わってくるので、すこしリアルになってゆくと、たちまちノイズ動作も必要になってくると思います。棒立ちのキャラにも警戒です。



たとえばこういった書籍を見ると(表紙だけ見ても想像はつきます)、マスターショットとかキーとなるレイアウトといえば良いでしょうか「特徴的で印象に残る画」をカット内で成立させて、その画を見せるために周辺の画を紡いで行く。という考えがあればコストのかからないカットをどう描くかは見えてくると思います。アペタイザーがあってメインディッシュが引き立つという考えです。アペタイザーからステーキが出てきたら、メインでまたステーキが出てきたら、もうお腹いっぱいですからね。デザートみたいな見せ方を変える必要はあるでしょう。

こうしてはたして結論の出ないブログとなりましたが、つきましては、そういった3DCGでのアニメ表現を作る側で気にしてる人たちの飲み会とか懇親会とかをやりたいと思いました。

以上。


追加の余談ですが、
京アニのアニメ「氷菓」の第一話で千反田えるが登場するカットは、とても印象的でしたね。3D的なカットで作画枚数を使っていましたが、原画的には中割で済ますことができているようなカットです。どうやって原画を処理したのか、わたし気になりまして、考えてみましたが、京アニがレイアウトシステムならば、レイアウトを数枚書いてから3Dレイアウトを出していって3D動画連番にあわせてデジタル動画の作画ではないかと思いました。
ベテラン原画さんと演出さん、3Dのコンビネーションがあってできることですね。寄り作画なのに、溜めツメ感が出ているのもとても印象的でした。手書き動画行程ではイレギュラーな溜めツメができるのが上手に行かされている印象でした。



こうして過去の事例ばかりをリファレンスとしていると新しい見せ方を絞り出すことができなくなります。ほどほどに。レイアウトは自分で絞り出す。

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PPAPとシンゴジラの意外な共通点。ペンパイナッポーアッポーペン。

どうも井上ジェット(@jetinoue)です。
PPAPを見てきました。感想書きます。

ぼくはすでに5回は見てますので、シンゴジラ以上見ていることになりますが、カタルシス的には似ているものがあります。
なんでゴジラが出てきたのか?
なんでペンとリンゴがでてきたのか?
理由なんてないんですよ。出てきちゃったんだから。
まずここ。どちらも、いきなり出てきます。ペン持ってます。リンゴ持ってます。
なんで出てくるの、え?動くの?的な。

そして、フンヌ!アッポーペンになります。
つまりこの時にユーザーの欲求的エントロピーが超飽和して破壊的カタルシスが消化されつつも、次の状態へ移行します。これがアッポーペンです。そして次の状態のエントロピーが小さい状態がパイナポーです。ペンとパイナポーは理解できますから小休止となりますが、意外とすぐに次はやってきます。パイナポーはペンの出現により、幾度もの議論思考が繰り返されますが、量子論的テレポーテーション状態で観測されたアッポーペンの情報がたちまち伝達して、フンヌーン!といってパイナッポーペンになります。そしてこのときには、事象の連続性をもう止めることができなくなっています。予め消化しなければならない世界の不の歪みがあってこその、出現だったわけですから、それらが消化されるまで事象は続くのです。見ているほうは、もう十分だ。これ以上はないと、事象の大きさにこれ以上の想像ができなくなります。人類にこれ以上の領域なんて想像できません。
しかし、止まりません。求められた事象の膨張は人類には止めることができないのです。
そこで、フヌン!ペンパイナッポーアッポーペンです。
棒状のものが、勢いをつけて、刺さりましたよ!

東京は壊滅したわけです。ここで、すべてのエントロピーはカタルシスの消化とともに解放されたのです。

しかしPPAPの場合、ここで終わりません。壊滅的な力の発散により、すべてのエントロピーが消化されたあと、PPAPはジブリの領域に到達します。すべての事象が終了したあとは、祭りの始まりです。だから、ラストで踊ります。
仕事が終わったあとはクラブでダンス。解放され自由にたどり着いたというわけです。

江南スタイルも同じ。ピコ太郎も同じ、ゴジラもみんなキレがいいですね。キレッキレです。
英語発音もキレッキレなので、PPAPのキレ度は高かったです。

理由無き出現、事象の変化、そして進化。最後に一つの形への到達。
シンゴジラと、まったく同じ展開。

以上

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JUGEMテーマ:シン・ゴジラ



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